手漉き和紙ならではの風合いと美しい色調―松江市八雲町で作られている出雲民藝紙は、明治35年この地に生まれた安部榮四郎に始まります。生家が紙漉き屋だった榮四郎は9歳から家業を手伝い、成人すると本格的に紙を漉くようになりました。洋紙が盛んに作られ始め、進むべき方向に悩んでいた昭和6年、松江に来た民藝運動の創始者・柳宗悦に雁皮から作った和紙を見せたところ、「これだ、これこそ日本の紙だ!」と感激されて大きな自信を得ます。この出会いを機に民藝運動に加わった榮四郎は、誠実でごまかしのない仕事を根本とする民藝の精神に学び、手漉き和紙一筋に打ち込んでいきました。
榮四郎が好んだ原料は雁皮でした。とくに昭和35年から3年間、正倉院宝物紙の調査に参加した際、およそ1200年前の雁皮紙がいま作ったものと同じような色つやを持っていることに深い感動を覚えました。「私の作った紙が、千年も二千年も先まで残っていたら、こんな幸せなことはない」と考え、正倉院の古文書が目標となったのです。原料の特性をそのまま漉き上げていくのが榮四郎の紙の特徴ですが、ベンガラなどの顔料を用いて色付けした紙も昭和初期から創作し、国内外の展覧会を通じて手漉き和紙の美しさを広めました。
民藝運動に学び、
和紙の美しさを世に広めた安部榮四郎