シリーズ
『見つけよう、しまねのコト。』

美保関灯台
120年の時を超えて航路を照らす山陰最古の灯台

航海の安全を見つめ続ける
白亜の殿堂

 島根半島の東端、えびす様の総本宮として知られる美保神社から車で5分ほどの場所にある地蔵崎。この岬に白く優美な姿で佇むのが、山陰最古の灯台・美保関灯台です。
 美保関灯台は明治31年9月に地蔵崎灯台として竣工し、昭和10年に現在の名称に変更されました。初代の光源は石油を燃やす四重芯石油燈、レンズはフランスのソーター・ハーレー社製の「第一等フレネル式閃光レンズ」で、高さ約2.6m・内径約1.8m、3層のフレネルレンズ8面からなるどっしりとした釣鐘のような形状をしています。フレネルレンズは、レンズの表面に同心円状の切り込みを施したレンズで、優れた集光能力を持ちます。

 当時は4分間で1回転し、30秒に1閃光を発しました。回転のための動力に500~600kgの分銅を落下させ、重力を利用していたため、3~4時間ごとにウインチで重い分銅を巻き上げる作業が行われたそうです。この過酷な作業は、昭和29年に回転用電動機を内蔵した「LB90型回転燈器」に入れ替わるまで続きました。現在は直径60㎝2面の「LBM60型灯器」が使われ、初代レンズは灯台官舎だった建物に展示されています。窓から射し込む陽光が反射しきらめく様を見つめていると、レンズが沖を行き交う船の安全を見守り続けていた時代に思いを馳せることができます。

灯台としての役割を果たしながら、
愛される観光拠点へ

 官舎には灯台守たちとその家族が暮らしていました。生活はほぼ自給自足、生活用水は雨水に頼らざるを得ず、大型の貯水槽ができるまでは水の確保に苦労していたそうです。昭和37年に灯台は巡回管理となり無人化され、昭和48年には美保関の集落と灯台を結ぶ道路「しおかぜライン」が開通し、観光拠点となっていきました。官舎はレストランに生まれ変わり、多くの人が訪れています。

 戦時中には官舎の鉛の屋根が徴発されるなど、時代のうねりを乗り越えてきた美保関灯台ですが、その姿は建設当時の面影を色濃く残しています。地元片江村(現美保関町片江)の石工・寺本常太郎による石造りの建造物は、歴史的・文化的・建築技術的に価値が高く、石塀や官舎が残っている点で全国的にもまれな灯台です。平成10年に「世界の歴史的に特に重要な灯台100選」に選ばれ、平成19年には現役の灯台として初めて国の登録有形文化財に登録されました。

 明治の面影を残す風格ある白亜の灯台、赤い屋根の官舎、そして紺碧の日本海の鮮やかなコントラストはまるで一枚の絵画のよう。夜には闇を照らす力強い姿を見ることができます。誕生から120年余り、美保関灯台は人々に愛され、航海の灯火として今も地蔵崎に立ち続けています。