シリーズ『見つけよう、しまねのコト。』

シリーズ『見つけよう、しまねのコト。』では、身近にあるけれど普段意識しづらい身の回りの場所・モノ・行事・風習などを取り上げ、その歴史や文化をご紹介します。

悠久の時を超えて刻まれた
複雑な海岸線

 厳しく切り立った崖、深く切り込んだ入り江、長年の侵食による島の岩穴。大山隠岐国立公園の一部で、遊覧船での海岸巡りも楽しめる松江市島根町の「加賀の潜戸(かかのくけど)」は、『出雲国風土記』に登場する神話の舞台でもあります。

 加賀地区の潜戸鼻には、「新潜戸」と「旧潜戸」と呼ばれる二つの洞窟があります。『出雲国風土記』には、佐太神社の御祭神の佐太大神(さだのおおかみ)が新潜戸で誕生したと記されており、昔は「神潜戸(かみくけど)」と呼ばれていました。

 大神誕生の時、母神支佐加比売命(きさかひめのみこと)が大切にしていた弓矢が波にさらわれ流されてしまい、「失せた弓矢よでてこい」と祈念すると金の弓矢が流れてきたといいます。支佐加比売命はその弓矢を放ち、射通した岩穴から差し込んだ光に「ああ、かかやけり」と言ったのが、「加加(かか)」の地名の始まりで、後に「加賀」と改められました。

 金の矢は勢いあまって隣の島も貫通したとされています。夏至の頃、二つの島の岩穴に朝日が一直線に差し込む様子は、神話の「黄金の矢」を彷彿とさせます。

古代には新潜戸に祀られていた
加賀神社

 遊覧船が発着する「マリンプラザしまね」から徒歩10分ほどの距離に鎮座する「加賀(かか)神社」は、『延喜式神名帳』に記載がある古社です。創立年代は不詳ですが、古代には新潜戸内に祀られていたものを、のちに現在地に遷座し、「加賀社」と称したと言われています。現在も新潜戸内には、白木の鳥居が立てられています。佐太大神の生母にあたる支佐加比売命が御祭神として祀られています。

 加賀の潜戸のある加賀浦は、江戸時代から明治時代にかけて、北前船の寄港地としても繁栄しました。北前船の船乗りたちは海上安全を加賀神社に祈願していたといい、感謝を込めて源平合戦や壇ノ浦の戦い、川中島の戦いなどの歴史の一場面などが描かれた大絵馬(約2m×約1m)を奉納しました。現在も6枚の大絵馬が神社拝殿に掲げられています。また、境内入り口にある「浪速狛犬」も同様に北前船で運ばれて奉納されたものだといわれ、これらの奉納物は、その歴史と寄せられた信仰の篤さを物語っています。

 20年に一度、遷宮が行われており、2020年10月3日の遷宮に向けて、現在、御社殿の御修造が行われています。


【お詫びと訂正】アトムの広場No.126 記事の訂正について

6月末に発行しました「アトムの広場No.126」のうち、シリーズ『見つけよう、しまねのコト。』の記事の一部に誤りがありました。お詫び申し上げますとともに、下記のとおり訂正させていただきます。

 

アトムの広場No.126 3ページ 本文1~2行目

誤 ) 遊覧船が発着する「マリンゲートしまね」から徒歩25分の距離に鎮座する「加賀神社」

正 ) 遊覧船が発着する「マリンプラザしまね」から徒歩10分ほどの距離に鎮座する「加賀神社」

注:差し替えが間に合ったものは、正しく記載されています。