シリーズ
『見つけよう、しまねのコト。』

国引き神話 ―島根半島のなりたち

国引き神話をほうふつとさせる
島根半島のなりたち

 天平5年(733年)に成立した『出雲国風土記』の冒頭には、「国引き神話」と呼ばれる記述があります。八束水臣津野命(やつかみずおみづぬのみこと)が「八雲立つ出雲の国は、幅の狭い布のような幼い国であるよ」と言い、「国来(くにこ)、国来」と海の向こうから余った土地を引っ張ってきたというものです。土地をつなぎ止めるために立てた杭が三瓶山と大山、引いた綱は薗(その)の長浜と弓ヶ浜半島であるとされ、縫いつけられた土地は現在の島根半島にあたります。
 いっけん荒唐無稽に思える物語ですが、実は島根半島のなりたちは「国引き神話」からそう大きく外れていません。約2000万年前、日本列島の西南部分はユーラシア大陸の東端に位置していました。それが地殻変動によって大陸から分離し始め、間に現在の日本海が形成されていきます。およそ1500万年前、日本列島が今の位置になった頃、南側のフィリピン海プレートが西南日本の下に沈み込むようになり、中国山地が陸化します。島根半島はまだ深い海の底でしたが、陸上の火山から大量の噴出物が流れ込み、海底でも火山が噴火を続けます。そして約1000万年前になると、島根半島を含む一帯が隆起していきました。
 大規模な地殻変動によって生まれた島根半島は、まさに海の向こうからやってきた土地だったのです。

褶曲、断層、侵食がもたらした
島根半島の多様な地形

 7000年前頃の縄文時代、海面が上昇して島根半島の南側のくぼ地は海になりました。その後、三瓶山の火山活動の噴出物が流れ込むことで出雲平野が形成され、宍道湖が姿を現します。その際、島根半島は防波堤の役割を果たしました。稲作を始めた古代の人々は自然に感謝と崇敬の念を抱き、そこから出雲の神々の物語が生まれてきたのです。
 『出雲国風土記』では、八束水臣津野命が4回に分けて国引きを行ったとされており、4つの国の境目を「折絶(おりたえ)」と記しています。折絶は、褶曲(しゅうきょく)や断層、侵食によってできた地形の窪みですが、島根半島にはこれが3カ所あるため、4つの国に分かれているように見えたのでしょう。古代人の観察眼に驚かされます。唯浦(ただうら)港には、褶曲のために曲がった地層の表れた三角岩がありますし、小泉八雲を魅了した加賀の潜戸(かかのくけど)は、断層ができたことで脆くなった部分が、波に侵食されてできたものです。ほかにも貴重な地層や岩石などが数多くあり、同時に美しい景観を持つ一帯は、「島根半島・宍道湖中海ジオパーク」として認定されています。
 「日本海と島根半島の地層のストーリーはよく似ている。日本海のなりたちを知る上でも、島根半島は重要なんですよ」と、ジオパーク専門員の野村律夫さんは話します。